花は世につれ世は花につれ

知地正和 花と共に

七宝

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小原流が剣山を使い出したのは昭和30年過ぎからです。剣山が生まれたのは昭和の始め(明治末期から考えられていましたが現在の形になったのが昭和四年ぐらい)。この写真は昭和22年の婦人倶楽部の記事です。戦後間もない頃ですね。

まだ「剣山花留が出ているが我が流の花留は七宝に限る」と家元が言い切っていた頃です。剣山は確かに便利ではありますが花留の置き方と挿し位置を明確にすれば統一した指導ができるんですよね。剣山では「上か四列目、下に二つ下がった針に刺して・・・・」なんてわけにはいきませんからね😅

現在、小原流はほとんど剣山になってきております。僕個人としては写景は七宝で❗️と決めて欲しいぐらいですが😓時代の流れですね・・・・剣山が悪いわけではありませんがいけばなの技術が薄れてくる気がしてなりません😣