花は世につれ世は花につれ

知地正和 花と共に

中国挿花のこと

神聖ローマ帝国でオットー大帝が活躍、日本では平安時代あたりですかね?

中国は宋の時代に園芸がとても盛んになり流行しました。そうなると園芸書がいくつか出てきます。「洛陽牡丹記」「芍薬譜」「梅譜」「海棠譜」「菊譜」「蘭譜」などといった人気の植物の園芸書です。

南宋時代に入りますと林洪という人物が「山家清事」という書を出版します。これはさらに特に細かく花の水揚げや木々の扱い方が記されています。この当時の中国人は花の美しさに格を想定して擬人化した見方をしていました。これが後に小原流文人調いけばなに繋がっていくのです。

明の時代に入ると瓶華の書が出現します。【遵生八牋(じゅんせいはっせん)】という書を高濂という人物が書きます。

このあと【瓶華譜】を張謙徳が出してさらにブームに火をつけます。そしていよいよ【瓶史】を袁宏道が書いてその影響で日本の文人花がうまれていきます。

瓶史の考え方として、見る側の人間と見られる側の花とが同等の生命感の上に成り立つという考え方です。

この時点でもいけばなとは違いますのであえて『中国挿花』と呼んでおります。