ちょっと歴史の話をしてみましょう。
日本に「いけばな」が生まれる前、隣の国、中国史の花に関する話。
中国の歴史の中で南宋という国がありました。ここに林洪(りんこう?!)という人物がいまして【山家清事】(さんかせいじ)という書を残しております。特に花伝書と言うことではありませんけど生活の中でいろいろと、こうした方が良い!と言う事が書かれている書です。いつの世にもどこの世界でも少なからず書かれているようなものです。これを読むとこの時代にここではこんな生活がなされていたのか!この林洪はこういう生活をしていたのか!と言う事が垣間見る事ができます。そんな中に
「花の水揚げの仕方」というのがありまして・・・・
「梅を生けるには、毎朝、湯につけるが良い。芙蓉を生けるには、煮湯につけて葉で花瓶の口をしばらく密閉するが良い。蓮を生けるには、花を先に入れて水をあとにするが良い。梔子を生けるには、剪り口を叩くが良い。牡丹・芍薬および蜀葵・萱草のたぐいを生けるには、いずれも枝の根元を焼いておくと十分に花が開く。この方法によれば自然の力の及ばないものも完全になる」
この蜀葵はカラアオイといい現在のタチアオイ、立葵、ホリホックの事です。とにかく日本に「いけばな」が生まれる前から中国では切花を長持ちさせる技が工夫されていたと言う事がわかります。
だからといって「いけばな」が中国から来たのではありませんので誤解のないようにしてください。花を長く楽しむために世界中で工夫されていたと言うのは想像出来ます。「いけばな」は日本で生まれた花の文化です!分かりやすく言いますと僕が以前からあちこちで言ってます【池坊専応口伝】に見られる「いけばな」の精神理論です。具体的に言えば「小水尺樹を以て江山数程の勝概をあらわし・・・・」ということです(これだけではないのですが)
つまり日本人は花を生ける事に意味を持たせたということです。実は以前は花が形を整えて「いけばな」が成立したと習っていて僕もそう信じていました。でも形が整っている花の絵図は中国に宋の時代に描かれています。しかもそれは格花のようなアシンメトリーな形を成してます。そうなると「いけばな」は中国からと言う事になってしまいます。
日本人は禅のように身体と精神を鍛える事で尊い人間格を得ようとしていました。「いけばな」もその精神理論の一環として行われたと考えられます。つまり高度な形と理論を得るために稽古という繰り返し反復する修行にも値する行為を続けています。外国人で「いけばな」の表面だけみて野次馬的に習いにくる人が時々います。そう言う人は必ず「これは私は一度やった事があるから別のものを教えてくれ」と言うのです。具体的に言えば小原流の菊の三種挿し(多種挿し)は何年やってもうまくいきません、それは菊が全く同じモノが来ないからです。それを私は一度やったからもう大丈夫👌なんて言う人(外国人に限りませんけど😓)は生徒としてもう来なくて良いと思ってます。確かに一年中菊をやっていたら、そりゃ〜いけません😅ビジネスでもありますからね!忘れたかな?と言う時にまたやるのです😋
つまり「いけばな」は奥が深い日本の伝統文化って事です