以前、この写真をアップしましたが今日はこれを説明いたします。
左側に見える玉が小原流にとってとても重要な玉です。おそらく今、小原流を学んでいる人の98%もしくは99%の人が知らないと思われますので是非記憶に留めて欲しいと思います。昭和元年から計画され昭和三年十一月に除幕式を挙げた「国風盛花塔」というのがありました。
これがその国風盛花塔です。そもそもこれはなぜ作られたか?という事から話ますと1916年(大正五年)、今より107年前、小原流の流祖小原雲心先生が一月一日に五五歳の若さで逝去しました。正に正月は雲心先生の命日です。その後を継いだ光雲先生が流を拡大しました。
全国に増える門弟の拠り所として清荒神(阪急沿線)の境内に写真の盛花塔を建てたのです。
ここがその清荒神です。
駅から約1kmぐらい参道を歩くんです。僕は何度か当時をイメージしながら歩きました。ゆっくり歩くと20分ぐらいかかりますかね😅
この写真は除幕式の写真です。
昭和三年十月七日、全国から600人の流人が集まり除幕式を挙行しました。
祝辞は東京国風会の平一鶯先生でした。
この塔の下の地下室に上の写真の銅板が塡置されました。これは後に御影の家元会館に展示されました(今はどこにあるのやら???)
話は戻りますが最初の写真の玉がこの国風盛花塔の擬宝珠の【空輪】なのです!
国風盛花塔は三世豊雲家元の時代にこの場所に富岡鉄斎美術館を建てるために撤去せざるを得ない状態になり、空輪だけが御影の家元会館に移動となったのです。そしてその家元会館も今は手放したので先人達の歴史を知るこの空輪が先日大阪の研修会館の裏手の神社の裏に最初の写真の場所に移されました。小原流会員の皆様、大阪に行かれました時には是非ともこの空輪をご覧になって手を添えてみてください。ただとてもわかりにくい場所にありますので神社で聞いてからにした方がいいかもです。
あっ研修会館は大阪の本町、住所は(大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺六)です。坐摩神社(いかすりじんじゃ)です。タクシーで「いかすり神社!」といってもわからないタクシーが多いので坐摩(ざま)神社と発音した方がいいかもです。でも本当は坐摩(いかすり)ですからね!由来は入り口に書いてあったと思いますのでご自身で行った時に見てください(笑)
ちなみに除幕式の時に、清荒神所蔵の冨岡鉄斎の書画400幅のうち146幅を展示して見せたそうです。
この歴史をしっかり理解して空輪をご覧になってください