ただいまいけばなお稽古中❗️知地正和

いけばなの魅力を伝えたい

歴史の話

おはようございます

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気持ちのいい日曜日の朝です。

今日は仕事が無く、昼過ぎにジンちゃん達と公園に行く約束をしております。

今回はいけばなの歴史の話を久しぶりにしてみようかと思います。これは小原流の研修一期の講義で話す内容とも重なりますが😅 いけばなが誕生したのが室町時代あたりと言われております。でも突然出来たわけではないはず、まぁ何をもっていけばなか?というところもございますが😓それは置いておきいろいろな要素から考えてみようと思います。

室町時代の前は鎌倉、その前は平安という時代に分けられていますのでざっくり室町とその前に分けて考えてみようと思います。室町(鎌倉)時代の住まいは「書院造り」でした。平安時代には「寝殿造り」です。寝殿造は母家と庇(ひさし)だけでシンプルな家の構造です。床は板敷です。書院造は部屋全体に畳が敷かれます。コレは考えてもわかるように触感がまず違いますし部屋の温度も温かみが出て柔らかなイメージになります。平安時代にも畳はありましたが寝具としてのものや、特別な時に座具として使うぐらいでした。

寝殿造は部屋には間仕切りがなく、だだっ広い部屋に対して、間仕切りが出来た書院造は現在の日本家屋のようになってきます。天井も寝殿造は『化粧屋根裏』と言われるもので天井がスコーン!と抜けています。まぁ解放感はありますね😊それに比べて書院造は天井が張られて現在の馴染みのある生活様式の天井になります。屏風も平安時代にはありましたが数は少なく特別な時に使われるぐらいでしたが室町時代には屏風が更に間仕切りの意味を含めて多くの職人が作るようになり数も増えてきます。

何よりも一番花に影響したと思われるのが『明り障子』の出現ですかね👍

それまでは壁には蔀戸(しとみど)と言われる壁が上下半分から半蔀(はじとみ)が上と下に開き(下は余り開かなかったようですが)風通しと明かりを室内に呼び込んでいました。人が出入りするのは妻戸(つまど)だったり遣戸(やりど)だったりです。妻戸は観音開きの戸で遣戸は鴨居と敷居の溝でスライドして交差するよくあるものです。雨が降ったり風が強い時には蔀戸はもちろん閉めます。これが板で出来ているので室内は真っ暗になりますね😅  ここに障子という明かりが透けて入るものが現れます(現在はガラスというさらに太陽光がドンピシャで入るものもありますがこれはだいぶ後になってのものですから)

話は戻りますが書院造にはそれまでの鴨敷居がスライドするために二列の溝がつけられていましたがさらに一列増えて三列の溝がつけられます。つまりその増えた内側の列に障子がはめ込まれたんです。そうすると少しの風でしたら遣戸を片側に寄せて半分を障子にする❣️そうすれば部屋が明るくなる❣️❣️😍これって凄いことなんですよ!

そうなると室内生活に人々の関心が注がれるようになります。ということは室内構成や飾り付けに気を使うようになってきますよね。壁に軸をかけたり美術品を飾ってみたり、そうなると飾る場所がほしくなりますよね❗️つまり棚や飾るための板を敷いたりします。この板を『押し板』と呼びのちの床の間に変わっていくんです。それに伴い自然を室内に取り込んで季節を感じたりしてきます。それがいけばなへと移行していくって考えられない事ではありませんよね。

やがて『君台観左右帳記』という飾り方の参考書が表れてきたりします。コレについてはまた別の機会に・・・・

 

余り書き過ぎますと研修に差し支えますので😅